教育セミナー第6回「これからの教育と保護者の役割について考える」動画配信/質問回答 - 東京インターナショナルスクール キンダーガーテン/アフタースクール

2022.07.06

教育セミナー第6回「これからの教育と保護者の役割について考える」動画配信/質問回答

Hello Everyone,

先日2022年6月5日(日)に、教育セミナー第6回「これからの教育と保護者の役割について考える」を開催しました。

今回は、幼稚園から大学院まですべての部署で英語教育の実践を行い、全国の私立小学校連合会の会長や顧問を経験してこられた小泉清裕氏を講師に迎え、オンライン形式でお送りしました。
>> 講師プロフィールはこちらから <<

このブログ記事では講演内容の要点を簡単にご紹介しますが、実際のセミナーではもっとたくさんのことがとても詳しく解説されています!
ぜひ下記のリンクから全編をご覧ください。

セミナーの動画をYoutubeで公開しました!
当日に参加でなかった方はもちろん、ご参加いただいた方も振り返りにどうぞご覧ください。
>> セミナーの動画(約60分) <<

 

 

 

1.「教育」ってどんなこと? – EducationとInstruction

はじめに、普段私たちが何気なく使っている「教育」とは、そもそもどういうことなのかを考えましょう。

「教育」の意味を表す英語に「Education」や「Instruction」があります。
「Education」の「E」は「“外に”」という意味を持ちます。
一方「Instruction」の「In」には「“中に”」という意味があります。
教育には「引き出す」と「教え込む」という二つの側面がある、ということですね。

日本においては長らくの間、「教化」=「教える」というIntroduction形を中心とした教育方法がとられてきました。

今回は、「子どもたちに教える」のか、「子どもたちのチカラを引き出す」のか、我々の「教育」の在り方を改めて考えたいと思います。

 

2.日本の教育の歴史

江戸末期の寺子屋の時代には、子どもたち一人ひとりに合わせた教材を用意した多様性のある教育を提供していました。
教材は一律のものではなく、たとえば農家の子どもには種まきについてのものを読みながら、漁師の子どもには魚の捕り方を通して、商人の子どもには商売のやり方を通して、文字の読み書きを教えていました。
その結果、江戸末期では日本の識字率は世界一を誇りました。

その後、明治になると西洋文化が入ってきて、日本の教育は遅れていると考え、海外に追いつくための画一的な教育=Introduction型の教育を推進しました。

大正に入ると新教育運動により、教師中心ではなく学習者中心の学びの重視へ、多様性の学びへと舵を切りました。
しかしながらその後、昭和20年までは戦争のための教育、つまりまた画一的な教育になっていきました。

戦後は学習指導要領が作られ、新しい教育を目指しました。
その内容は経済発展のための教育の色が強く、受験、学級崩壊、いじめなど様々な問題を抱えることになります。
それらの問題を解消するためにおよそ10年に一度、振り子のように大きな方針変更の動き(たとえば、ゆとり教育の導入と廃止など)をしますが、なかなか解決に至っていないのが現状です

 

3.今、教育に求められていること

日本では戦後の学習指導要領の発足以来、良い教育になかなかたどり着くことができていないと言えます。
教育の標準化、画一化を目指した結果、いわゆる詰め込み教育となり、子どもが「学び」から離れていってしまっています。

現在は、個人に適した教育が当たり前のこととして求められてきています。
教育の在り方が「教える」から「学び」へと変化してきています。
これまでの日本の学びは自分の学力が上か下か、何番目なのかを競うことが注目されてきていました。
しかし今や、競争ではなく協力した学びへとシフトしてきています。
上か下かを気にした一人での学びではなく、みんなで学び生み出す姿勢が世界的に広がっています。

 

4.子どもの教育で大切なこと

子どもたちの成長を木に例えると、子どもたちの「主根」を伸ばす意識が大切です。
まず必要なのは、精神的な強さを含む「からだ」の強さ。

次に「学ぶことがおもしろい」と感じられる経験と「夢中」になれるものとの出会い。
そして、知識量ではなく、知ったことについて考えてやってみるという、思考力と判断力と実行力。

自分で考える、自分でいいか悪いかを判断する、自分でやってみる、そしてやってみた結果に対して自分で責任をとる。
そういうものを教えていくことが大切です。

これは一人ででもできますが、一人の範囲では十分ではありません。
人との触れ合いによる「協働」での学習で培われるものです。

 

5.保護者は子どもの教育にどのように向かい合うべきか

まず必要なのは、保護者が教育について学ぶことです。
そして教育について、例えば“日本の教育は本当に正しいのか?”などを考えることです。

また、親は自分が受けてきた教育を一度、否定してみることです。
これから先には何が必要なのかをもう一度イチから考え直してみることです。
これから先の子どもたちにとって何が重要なのかを考えることです。
100年先、子どものそのまた子どものことを考えて、保護者が教育を真剣に考えることが必要です。

 

6.セミナー中にご紹介している本

「叱らない子育て」 岸見一郎(学研)
「13歳からわかる 7つの習慣」 「7つの習慣」編集部(日本図書センター)
「江戸の教育力」 大石学(東京学芸大学出版部)
「教育とは何か」 大田堯(岩波新書)
「フィンランド幸せのメソッド」 堀内都喜子(集英社新書)
※書籍名からAmazonの商品ページにリンクします。

 

7.セミナー中・セミナー後に寄せられた質問と小泉清裕氏による回答

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質問1:※セミナー中でも取り上げた質問に改めて文面での回答をいただきました
10歳の子がおります。どうしても偏差値で区分けされる現状です。日本の教育は、なぜ偏差値が中心となり、なぜこれが是正されないのでしょうか?

回答:
この質問についてはセミナー中でもお話ししましたが、あらためてお答えさせていただきます。

まず、偏差値とは競争原理に基づいて、自分と他者を比較するための数値です。
現状の日本の教育において偏差値が重視されるのは、教育が競争を目指して行われていることを示しています。
この傾向は1960年代以降の高度成長期の日本が急速に高学歴社会に進んだことによります。
受験競争が激しくなると、「受験」がひとつのビジネスとして行われるようになりました。
そのビジネスを成功させるために非常に都合がよかったのが偏差値であって、それが日本中に広がりました。
この偏差値重視の教育がすでに半世紀も続いているため、日本人の多くがこれに疑問をもたなくなってしまっていることが、是正されない原因だと思います。

しかし、他者との比較によって測られる偏差値的「学力」とは、Bloomの教育目標で示されている、「あたま」の部分のみであり、しかも、今までの日本では、「あたま」の領域の一番底辺にある「記憶」が中心になっています。

ですから、「教育」の本質のきわめて小さな部分の評価でしかないのです。
これからの世界的な教育の流れからすると、これをもって「学力」と呼ぶことはできないようになります。
これからの「学力」は他者との「競争」によって高められるのではなく、他者との「協力」によって高められる時代になります。

日本の社会は何に対しても守保守的であり、現状を変えていくことを躊躇する傾向があります。
ですから、日本人の多くは、一度始まった偏差値による教育が唯一の教育だと思い込んでしまっています。
これからの世界の動きを考えると、できるだけ早くこの教育から離れていくようにしないと、日本だけが先進国から取り残されてしまいます。
未来を生きる子どもたちは、日本という限られた社会ではなく、もっと大きな、世界という社会で生きていくことが求められます。
そのためには、今までのような偏差値を重視している教育から、相互に協力し合って相乗効果を生み出すような新しい教育を、私たち親の世代が実践へと進める義務があります。
今こそ私たちが教育について本気で学び、そして、次の世代に適した教育の確立のために、今の教育を是正しなくてはならない義務を負っていることをもっと自覚すべきなのでしょう。
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質問2:
家庭で子どもの精神的幸福度を高めるために保護者はどのようなことを心がけると良いか、アドバイスいただけますでしょうか。

回答:
こんなに豊かで平和な日本で、若者の精神的幸福度が極めて低いのはなぜだろうと、ユニセフのデータを見て不思議に思います。
精神的幸福度は抽象的な概念ですので、それを数値で測ることはできません。
従って、人間は何をもって幸福と感じるかという因子を探る必要があります。

このことについて研究している心理学者などの意見をまとめると、幸福感につながる因子は四つあると言われています。

第一は「自己実現と成長」です。自分でやってみようとする気持と、やったらうまくいったという成功体験です。

第二は「自分らしさ」です。誰かと比較されるのではなく、自分の存在をそのまま受け入れてもらえる環境があることです。

第三に、「人とのつながりと感謝」があげられます。人はホモサピエンスの時代から一人では生きていけない生き物だと言われています。
他者との協力によって生き、そして他者への感謝や、他者の喜びを自分の喜びのように感じることが幸福感につながります。

最後の四つ目は「楽観的な気持ち」です。困った時にも何とかなると感じる気持ちと、周りからの制約を受けているという感覚が無いときに「幸福感」を強く感じるそうです。

この四つのことを保護者が心に留めて、それをどのように子どもとの対応の中で具体化するかについて工夫をし、実践していけば、きっと子どもたちの幸福度は高まることと思います。
私も今からでも息子たちとの関係の中で実践していきたいと心に誓っています。
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質問3:
社会が熟してないから偏差値による教育が続いている、とのことでした。
私自身も親として偏差値教育は懐疑的ですが、ではどう子供に接すればいいのでしょうか?
二つの顔(一方で社会に取り残されないために偏差値教育を勧め、一方で協働教育を勧める)を持って子供に接すればいいのでしょうか?
アドバイスがあれば教えていただきたいです。
また肉じゃが教育に関して、もっと詳しく教えていただければと思いました。

回答:
少なくとも今の日本の社会に生きている私たちや子どもたちは、日本から自分の価値観に合う他の国に簡単に移り住んでいくということはできません。
質問者の方が悩んでしまうことは当然だと思います。
ただ、偏差値教育に対して懐疑心を持たれていることが、お子さんにとって大きな救いになると思います。
セミナーの中でもお話ししましたが、教育は学校教育で成り立つものではありません。
それよりも大きな家庭教育があり、それが経糸(たていと)であり、学校教育は緯糸(よこいと)です。
経糸が張られていなければ緯糸は通すことができません。
ですから、周りの状況はどうであれ、少なくともご両親が理想と描く教育について、お子さんに折に触れて理解できるように話す機会を持つことが大切だと思います。

教育は学校や塾が担うのではなく、それ以前に家庭が担う必要があるということでしょう。
そして、子どもは親の考えにただ従うのではなく、子ども自身がさまざまな価値観に触れながら、いずれ自分自身の価値観をもち、自分自身を磨くべき教育を求めるようになります。
それがその子にとって最高の教育だと思います。
保護者がまずご自身の考え方や方針を自覚して、それに添った会話を心がけることが必要だと思います。
理想と現実の違いはもちろんありますが、まず、理想が何かをご自身で模索することが大切なことだと思います。

私は、近い将来、偏差値教育が社会から取り残される教育になることと信じています。

二つ目の質問の「肉じゃが教育」についてです。
学校の教科は国語、社会、算数、理科などのように教科という枠をもって行われています。
中学校や高校では各教科に各担当者がいて、それぞれの教科を教えます。
高校では、国語という教科だけでもその中に科目として6種類に分割さています。
もちろん一人の教師では教えられませんので、何人かが担当しています。

しかし、小学校ではいくつもの教科を一人の担任が教えています。
これは日本だけでなく、世界のほとんどの小学校でも同様です。
教科は形式上分かれていますが、子どもたちの頭の中では相互に結びついてひとつの「学んだこと」として認識されます。
ですから各教科をできるだけ結びつけられるようにするために、多くの教科を一人の先生が教えるのです。
そして、このような学び方を私は、各素材がそれぞれの味を出しあって、ひとつの料理として成り立たせている「肉じゃが」にたとえています。
このような各教科が横断的につながる学び方が、実はIB(国際バカロレア)教育のエッセンスのひとつです。
美味しい「肉じゃが」化した教育をもっと強く推進していくことを望んでいます。
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質問4:
IB教育やフィンランド式教育が良いのはわかっているのですが、実際に日本の公立、私立学校へ行くと受験の壁にぶつかります。
偏差値で判断する受験体系なので、IBで学んでいると間に合わない場合が多く、親として選択に迷います。

回答:
日本では入試の試験問題が解けるようにすることが「学び」だと考えられています。
それならば、試験問題が変化したら「学び」の方法や学ぶ内容が変わることになります。
実は、2021年度の入試から、30年間おこなわれてきた「大学入試センター試験」が廃止され、代わって「大学入学共通テスト」が始まりました。
名前が変わっただけのような気がして、元高校英語教師の私としては、英語の問題を解いてみたくなりました。
やってみると、昔、高校教師として私が教えていたような内容では、対応できない部分がたくさんあることがわかりました。
文法的な内容を問う問題はありませんし、リスニングの時間も配点もセンター入試と比べると大幅に変化していました。
「高大接続改革」として始まった改革ですので、高校の学習内容や方法も変化せざるを得ないことになっています。

日本では大学を変化させることで高校が変化し、高校を変化させることで中学校が変わり、中学校の変化によって小学校が変化するという道筋を考えています。
しかし、この方法だといつまでたっても教育の原点である小学校教育にたどり着きません。
本来は小学校を最初に変化させて、新しい教育を学んだ子どもたちが次の段階に順番に進んでいくことが、教育をスムーズに改革させる方法だと思っています。
このような形にならば、質問者が「間に合わなくなる」という気持ちを持たなくていいことになります。
教育の意味や小学校教育の重要性を理解して、まず、保護者が変化することが小さな一歩になると信じています。
同時に、自ら大鉈を振るってくれる政治家の出現を長く待ち続けています。
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セミナーの動画をYoutubeで公開しました!
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